飲み会が苦痛に感じる理由
結論
「価値観の差があるため、飲み会に苦痛を感じることがある。」
まずは世代による価値観の違いをご紹介しましょう。
団塊の世代は食 1947~49年生まれ
引用元は日経新聞です。
企業が高度経済成長のまっただ中にある一方で、親世代に生活の余裕はなく、若者たちは自分で生計を立てることを迫られた。仕事は生きる手段であり、会社から与えられるもの、指示されるものだったといえる。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98989500Z20C16A3I10000/
また、この世代は戦後まもない時期で「食」にたいするこだわりが尋常じゃない。そのため、価値観は「食」。
バブル世代は金 1965~69年生まれ
実際の日本経済は成熟していたのにプラザ合意後、大量の資金が国内に流入し、企業が不動産や事業開発に資金をつぎ込むいびつな状況が生まれた。企業が規模拡大を目指して大量採用を行い、空前の売り手市場を形成。大卒の5割以上が一部上場企業に入ったと言われ、多くの若者が請われて入社した。
若者の間に「仕事は会社から与えられるのではなく自分で生み出すものだ」という意識の変化が生まれ、働く目的が食べていくためや家族のためではなく、仕事そのものが目的化し始めた世代でもある。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98989500Z20C16A3I10000/
この世代の価値観は「金」。
氷河期世代は自己実現 1970~84年生まれ
就職前に企業の倒産やリストラを目の当たりにしたため、会社の中で言われたことだけをやっていても安泰でない、転職市場でも評価される個人にならないといけない、という意識が強いのが特徴だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98989500Z20C16A3I10000/
不運の時代とも言われ、ベビーブームのため常に競争にさらされ、運よく受験戦争を勝ち抜いても、就職がうまくいかず、やりたい事をやれなかったため、「理想の自分」が心に残っている。
ゆとり世代は自分の内面 1987~2004年生まれ
「ゆとり教育」と呼ばれる02年から10年に施行された学習指導要領に沿った教育を受けた世代。授業時間数の減少が学力低下を招いたとされた。
自分の内的な部分に忠実だという点。仕事は手段ではなく、より目的化しており、地位や年収という外的なものでなく、自分自身が充実することを重視する。会社や上司との関係はドライで自分の時間を大切にし、ワークライフバランスを権利として主張する傾向が強い。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO98989500Z20C16A3I10000/
「価値観は自分の内面」
飲み会に対しての感じ方の違い
これだけ価値観/仕事観が異なるのに、同じ会社という船に乗っている状態です。
そして、飲み会についての思いは、
団塊/バブル世代にとっては、飲み会はたいへんありがたい行事。
氷河期/ゆとり世代にとっては、将来のために我慢する行事。
そう、こんなに感じ方が違うのです。
飲み会、必要か?
世代間による感じ方の違い
世代間による差は、
団塊→団塊は食事を御馳走してくれてありがとう。
団塊→バブルはお金を使ってくれてありがとう
団塊→氷河期は将来のためになんとか我慢しよう
団塊→ゆとりは場にいればいいや。
そのため、団塊の世代から見ると、若者の感動が薄い、出席率も低い。
食事を御馳走しているのに、なんだお前ら!嬉しくないのか?となるわけですよ。
さらに、自分より立場が上の人間がいないのですから、部下はヨイショしてくれるし、お酌してくれるし、楽しくてしょうがないわけですね。
こんなに楽しい会に出席しないなんて、けしからん。
とか、こんなに楽しい飲み会を潰してたまるか!になるわけですよ。
もう、ここまでくれば老害ですよ。
おわりに
そう!飲み会は行きたい人だけいけばいい。
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